処女のまま死にたかった

遺書のつもりで書いてます

3.24

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本日、東京から新天地へと旅立ちました。

思えば6年間も暮らした東京。東京オリンピックまでに東京を出ると冗談半分で宣言していたことが現実になってしまった。西に行くとは思っていなかったけど。


元彼が東京駅までわざわざ見送りに来てくれた。私たちは別れる前後のいざこざや、よりを戻すかどうか?のいざこざが嘘かのように友人関係を築いている。結局のところ、互いに恋人が出来て依存対象ではなくなったからなのだと思う。友人よりも、家族よりも深い仲であり、おそらく知人の中ではなく死んだら一番悲しいのは元彼だ。

思えば東京生活=元彼との暮らしと言い切っても過言ではない。一緒に酒を飲み、ラーメンを食べに行き、ライブに行き…どこへ行くのでも彼と一緒だった。元恋人と行った場所に現恋人とデートに行くのはどうなんだという話をよく聞くが、私には厳しい話だ。つまり東京生活の終わりは元彼との関係の決着とも言える。元彼もそれをわかっているからこそ、見送りに来てくれた。


正直駅のホームに行っても東京を離れるという実感はなかった。休みの日に東京に遊びに来る機会もあるだろう、くらいの軽い気持ちだからなのだと思う。東京を離れる前に会っておきたい知人の方に挨拶した際も、悲しいという気持ちは微塵も感じられなかった。

そんな軽い気持ちだったので、普段通りのたわいもない雑談をしながら発車時間を確認しながらホームを歩いた。発車まで5分を切り、元彼は泣き始めた。その姿を見て、私も涙が溢れてきた。人間、案外一瞬で号泣することができるものなのだなと感心しつつ、私は元彼、そして東京から離れるということを理解した。


私は今決して不幸ではないと思う。精神は安定しているし、一緒になりたいと言ってくれる彼氏がいる。就職も決まった。この安定は元彼と付き合い続けていたら決して手に入れられるものではなかっただろう。

しかし、人生で一番楽しかった時間は何かというと不安定だった元彼との生活だ。今の彼氏のことは勿論好きだが、今後も楽しさで勝ることはないと思う。

元彼に未練があるわけではない。あの自堕落な日々は、「東京」で「20代」の「学生」だったからこそ楽しかったのだと思う。きっと働き始めたら、東京を離れたら、もうあの日々は過ごせない。仮に元彼とよりを戻しても、それが昔のような楽しみ方はできるのだろうか、と考えてしまう。私も大人になった。これが社会人になることなのか、と思うと恐怖を感じる。


思ったことをそのまま書いたら長くなった上に支離滅裂だ。

さようなら東京、なんだかんだ楽しかったよ。